たとえば、牛丼やラーメン、パンケーキに、生クリームたっぷりのお洒落な名前のスイーツ。不思議なもので、夜になるとカロリー高めのグルメが頭にちらついて仕方がない。「いま食べたら、もしかしてアタイ太るのでは……?」という暗闇の中で、まず香りを思いだし、口から抜ける息に舌を這わせると食欲がとめどなく溢れて、もう、止まらない。

しかしそんなとき、僕らは夜も深くのポエマータイム――それは果敢なく、甘く切なく、詩的かつメランコリックで、後になって思えば恥ずかしいことこの上ない時間――に指を預けることができる。皆さんにも経験があると思うが、眠れぬ夜更けの想像力は、良くも悪くも日中のそれを遙かに上回るものだ。「夜食を堪えるためのポエム」、悪くない選択だろう。


では具体的に、どのようなポエムを書けばいいか。時間帯の問題もあって、ポエマーの多くは「恋愛」をテーマに据える。恋愛とはこうあるべきだ、こうすべきだ系啓発ポエムを筆頭に、こんなに想っているのにどうして伝わらないの系片想いポエム、大好きだよ結婚したいね系早とちりポエム、みんなに見られるんだけどやっぱり可愛いって罪よね系勘違いポエムなど“愛の詠い方”は枚挙に暇(いとま)がないが、いずれにしても後から恥ずかしくなることに変わりはないので、この際思いのままに筆を走らせてしまって構わない。

「え、でも好きな人なんていないし……」、そういう向きもあるだろう。そんな時には、異性(ないし同性)に見られる胸がキュンとした仕草、かかる体の部位を思い出してほしい。書類を渡されるときに目にした、白シャツから覗く手の甲に隆起した逞しい血管を。通勤中すれ違いざまに見惚れた、桃色のブラウスから覗く華奢な鎖骨を。彼に守られたい、彼女を守りたい、つい思ってしまったよね。そのトキメキに、あなたの食欲の全てを注ぎ込ばいい。「俺、感情とか、そういうの無いから」、お、おう……それはもう知らん。

ポエム創作に欠かせない事柄がもう一つ。「ポエムを書く」と聞いて、どのような道具・手段を思い浮かべただろうか。本稿を読んでいる皆さんにおいては、“紙と鉛筆”というよりも、Facebook や Twitter、mixi の日記、あるいは LINE などが脳に去来したと予想する。また同時に、「ほんの一時のセンチメンタリズムで友人に恥を晒すなんて、まさしく愚の骨頂だよね(笑)」などの無慈悲な防衛意識を働かせたのではなかろうか。それなら単純に、このためだけに匿名ブログを開設してみてはいかがか。Twitter サブアカウントを作成してみてはいかがか。己が魂の叫びを世に問うてみてはいかがか。

「ちょっとアンタさー、そこまでさせておいて食欲が収まらなかったら、オコだよ(=遺憾である)」。一先ず、落ち着いて、次に挙げた2つのポエミングストーリーに目を通してみてほしい。いずれも割とポピュラーなケースなので、きっと参考になるはずだ。

●ケース1「失恋した彼女のポエム」

 控えめの夕食でお腹をごまかし、睡魔の脇をするりと駆け抜けて迎えた深夜2時、わたしの頭は異様に冴えている。わたしは悩んでいた。語彙の乏しさに悩んでいた。同じ言葉を行ったり来たり、立ち止まらせたりしながら、日ごとに募る切なさと苦しさをあれやこれやと組み合わせた一遍の詩は、空しくライムを踏んでいる。

 布団の中にうずくまって早一時間。なにか甘いものが食べたいなー……なんて、昨日雑誌で見たパンケーキのことを思い出していたのだけれど、もしすごく大きなパンケーキがあるとしたら一体どれだけの人が幸せになれるだろうかと考えたところで思考が、止まった。

 大きなパンケーキ、それ、たぶんエアーズロックだ――。

 彼と別れる前、2人で旅した場所だ。空が広かった。風が熱かった。遠くから射す夕日の赤が、岩のくぼみに影を落とした。映画みたいだなんて笑いながら、愛してると言った。愛してる、と言われると思っていた。それなのに、――ふいに指先から甘いシロップのような黄金色のリビドーが迸(ほとばし)り、食欲を失った私の思考は宇宙の果てまで飛躍した。

「私の想いが山を越え海を渡り荒野を彷徨って、どこか遠い国の歌になればいいのに。海外からの逆輸入バンドが高く評価される音楽シーンに乗っかって巡り戻ってきた私の何かが、もうとっくに渇いてしまった何かが、いつか彼の耳に、胸の奥にまで届けばいいのに。『いい歌だ』と有難がって聴けばいいのに。」

 切なさと苦しさに、ほんの少し憎しみのスパイスを加え、さらに足して引き、削り、鋭く研いだ140文字。あの日、彼の頬を引っ叩いたが如く、スマホの画面を、何度も、何度も、何度も……。

 翌朝、Twitter の通知音で目を覚ました。夜に溺れた恥ずかしい文字の羅列が、いま、悲しいほどに清々しい。エアーズロック大のパンケーキは、たった一組の男女でさえも幸せにしてやくれないんだ。

 わたしは今日も、朝食のトーストが焼き上がるのをじっと待っている。

●ケース2「悟りを開いた彼のポエム」

 初めて彼女を見かけたとき、思わず息をのんだ。うす墨を流したような空の下、郵便配達のバイトで糊口を凌ぎ、常闇の中を手探りで進むような暮らしに、一条の光が射し込んだかのように思えた。

 家に連れ帰り、着物をほどいた。水に浸して、白く艶めかしく、玉のように美しい肌を撫でていると、なにか尊い、力のあるものだと思えるようになり、やがて僕は手を止め、水中でゆらり揺れる彼女に見惚れるほかなくなった。ただ立ちつくしたまま、彼女とふたり、夜の底まで引きこまれていた。

 昼よりも眩しい夜は初めてだった。すっかりぬるくなってしまった水の中から、優しく彼女を抱き上げ、抵抗のないしなやかな躰を目の前に寝かせた。清潔な汗をまとい、光を湛(たた)えてきらきらと輝く彼女が、壁が黄ばんで床にはゴミの散らかった僕の部屋にいることで、より一層美しく、なまめかしく感じられ、気が付いたとき、僕は、腹を空かせた一匹の獣でしかなかった。

 手もとにあった様々な道具を使い、彼女の顔を見ながら手探りで、いつか見たような技を駆使して、そのやわらかい肌を荒々しく刺激した。彼女は次第に熱を帯び、小さく跳ねるように震えてみせたが、それは僕の理性の残滓を奪い取るのに十分なものだった。躊躇うことなく火照った体に舌を転がすと、彼女は逃げるように僕のそれを振りほどこうとしたが、それでも無理やり、彼女の全てを頬張った。救いを求めていたのかもしれない。そこに悪意はなかった。僕はなにも悪くない、悪くはないが、その行いはあまりにも愚かで、浅はかで、それ故に、今まで感じたことのない大きな興奮を覚えていた。

「小説に語られる奇縁、いわゆる“運命の出会い”なるものが実際にあるというが、なるほど斯様に、涅槃(ねはん)に至りしほど左様に、僕はきみに魅せられ、特にそのコストパフォーマンスに惚れてしまったよ、もやし。」

 ことが終わる直前だった。何の接ぎ穂もなく今月の家賃支払いについて思い出した僕は、箸の代わりに鉛筆を握り、一筆書いて、果てた。「38円」それが彼女の値だ。安い、とはいえ、一度に食べては家計を切迫する。“質素な生活”に執着すべき身としては、二度と繰り返してはならないことだ。このポエムを戒めに、今では彼女、もとい“もやし”を、三度に分けて食べることにしている。

――いかがだろうか。これら2つの小話は全くのフィクションであるが、「どのようにポエムを創作するか(=空腹を忘れるか)」について、これまでにミッドナイトポエムを量産し続けてきたおセンチ野郎の皆さんには納得・共感してもらえたと思うし、これからポエム道に足を踏み入れんとする皆さんにも1つの方向性を提示できたに違いない。

「つーか2つめの話は趣旨違うよね?」とのクレームに関しては、偏に筆者のミスであると認める。が、“感情移入しすぎた結果、お腹いっぱいまでもやしを食べたくなったため”という原因究明まで済んでおり、また“これはこれでいい参考資料になるのでは”との思いも抱えているため、ここは一つ広い心を持って許してほしい。

最後に、「空腹な夜にはポエムを書く」というのは、ここまで述べてきた通り本当に効果があるものだ。朝に残る恥ずかしさの塊は、言わば若さの証明。各々、思いのままに“夜食を我慢するため”のポエマーライフを楽しんでもらいたい。

※もやし炒めの調理方法はクックパッドなどを参考にしました。

(文:京都三条 糸屋のむすめ)